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Excavation and Return of Remains
遺骨発掘と返還
空知民衆史講座により1970年代に始まった鷹泊や朱鞠内での遺骨発掘とその遺族への返還はその後も続けられ、東アジア共同ワークショップ(当時は「日韓大学生共同ワークショップ」)に引き継がれたのは1997年の夏のことでした。アイヌ、韓国、在日、日本の若者たちなど多様な人々が参加し、朱鞠内共同墓地のはずれに埋められていた強制労働犠牲者たちの遺骨を掘り起こしましたが、韓国から参加した人類学者や考古学者をガイドに、シャベルと手道具で慎重に一層ずつ土を掘り下げていく難しい作業でした。地中から現れた遺骨は、あるものはしゃがみこんだ姿勢で、あるものは頭蓋骨が破裂した状態で、また長い歳月を物語るように木の根が絡みついた遺骨もあったのです。その後も朱鞠内では発掘作業が続けられ、これまで20数体分の遺骨を再び地上へと導きました。
2006年には「浅茅野旧日本陸軍飛行場」(猿払村)の工事犠牲者の遺骨発掘が行われました。2010年までに計3度行われたこの発掘では全部で34体分の遺骨が掘り起こされ、複数の遺体が小さな穴に重ねて埋められていたり、火葬した骨が混ざりあったりしていたケースもありました。粗雑に埋葬された遺骨を前に強制労働の過酷さを確認することになりましたが、戦後の植林事業によって埋葬現場は乱され、犠牲者の身元を正確に把握するには至りませんでした。
また遺骨は出てきませんでしたが、東川町や芦別市、沖縄の本部町での遺骨発掘にも取り組んできました。
2015年には“70年ぶりの里帰り”と称して、韓国の平和の踏み石とともに北海道各地に安置されていた朝鮮人の遺骨115体分を韓国へ送り届け、最終的にソウル市立墓地に特設された廟に遺骨をおさめました。
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